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2026年07月25日
日本の都を勉強し直しました。
飛鳥板蓋宮 あすかいたぶきのみや |643年4月 飛鳥国
(大和国高市郡)
皇極天皇の即位に伴い造営された宮。考古学調査により、
後の飛鳥浄御原宮の
前身遺構であることが確認されている。| 難波長柄豊崎宮 なにわのながらのとよさきのみや | 645年6月14日
| 摂津国東成郡(現・大阪市)
| 乙巳の変後の難波遷都
により孝徳天皇が造営。日本書紀の記述に基づくが、近年の考古学研究では複数時期の造営プラン(下層遺跡と整地層)に関する議論がある。|飛鳥宮 あすかのみや 655年1月
飛鳥国(大和国高市郡)|
斉明天皇(皇極天皇の重祚)の即位により、板蓋宮の
焼失・移転を経て再整備
された宮(川原宮や岡本宮など周辺諸宮を含む総称・変遷の一環)。| 近江大津宮 おおみおおつのみや | 667年3月19日
|近江国大津(滋賀県大津市)
| 天智天皇による遷都。白村江の敗戦後、唐・新羅からの
侵攻に備えた軍事・防衛的色彩の強い都城。崇福寺跡などの
関連遺跡が国史跡に指定されている。| 飛鳥浄御原宮 あすかきよみはらのみや | 672年
飛鳥国(大和国高市郡)| 壬申の乱の勝利を経て
天武天皇が継承・整備した宮。
日本書紀の編纂や飛鳥浄御原令の制定など、律令国家体制の基礎が築かれた。| 藤原京 ふじわらきょう|
694年12月6日 |大和国高市郡
(奈良県橿原市)| 日本初の
本格的な中国式都城(条坊制を採用)。文武天皇の代。
文化庁の史跡指定等の調査
により、日本における本格的
都城制の完成期として位置づけられる。| 平城京 へいじょうきょう |
710年3月10日
大和国添上郡・平群郡
(奈良県奈良市) 元明天皇の
詔により藤原京から遷都。
平城宮跡は特別史跡であり、
奈良時代の政治・文化の
中心地として大規模な
発掘調査が継続している。| 山背恭仁京 やましろくにきょう | 740年12月15日
山背国相楽郡(京都府木津川市) | 聖武天皇による遷都。
藤原広嗣の乱を契機とした
政治的動揺の中で造営されたが、のちに中止された。
大極殿の基壇などが発掘されている。|紫香楽宮 しがらきのみや |
744年1月1日 | 近江国甲賀郡(滋賀県甲賀市) | 聖武天皇による相次ぐ遷都計画の一環
(甲賀宮とも呼ばれる)
離宮的性格から一時的に皇都として機能した。| 難波京 | なにわのみや | 744年 | 摂津国東成郡(大阪市)
聖武天皇の副都(難波宮)
としての再整備。前期難波宮の遺構の上に後期難波宮が重なる形で造営されたことが、
大阪市文化財協会等の発掘調査で判明している。| 平城京 へいじょうきょう |
745年5月 | 大和国
(奈良県奈良市) | 相次ぐ
遷都の混乱を経て、
聖武天皇が再び平城京へ還都し、奈良時代後半の体制が定着した。|長岡京 ながおかきょう | 784年11月 | 山城国乙訓郡(京都府向日市・長岡京市・京都市)
桓武天皇による遷都。
平城京の地理的条件
(水運の不便さや旧勢力との
関係)を克服し、新風を
吹き込む目的があったが、
度重なる水害や造営長の
暗殺事件等により短期間で
廃止された。| 平安京 へいあんきょう |
794年10月22日
山背国葛野郡・愛宕郡
(京都府京都市) | 桓武天皇
による遷都。和気清麻呂の
建議(水陸の交通の便や四神相応の地勢)を採用。以後、
近代に至るまで日本の首都として機能した。| 福原京 ふくはらきょう |
1180年6月26日 | 摂津国大和田泊(兵庫県神戸市)
平清盛の主導・専制政治に
より、日宋貿易の推進を目的に
平氏の一門中心で遷都が強行
されたが、反対論や経済的基盤の未熟さから数ヶ月で頓挫した。|平安京 へいあんきょう |
1180年11月11日 | 山城国葛野郡・愛宕郡(京都市)
| 平氏政権の求心力低下
および源氏の挙兵など国内の
政治的・軍事的混乱に伴い、
わずか半年足らずで還都を
余儀なくされた。| 東京 とうきょう 1868年10月13日(明治元年) | 武蔵国
(東京都)|明治維新に伴う
幕府崩壊後、天皇が江戸を
「東京」と改称して行幸
(東行)し、事実上の
政治・行政の中心地とした(※首都機能の移転に関する
法的な明文規定の有無
については歴史・法制上の
議論がある。ここでは、
宮省および政府機能の所在地
としての位置づけでまとめた)。